H. A. プリチャードの論文“Does Moral Philosophy Rest on Mistake?”(邦題「道徳哲学は誤りに基づいているか」)を読みます。

そもそも我々はどうして道徳的であらねばならないのでしょうか。
もしこの問いに対して、「長い目で見ると道徳的である方がより大きな幸福や利益を得られるからだ」と答えるなら、あなたが本当に気にかけているのは道徳ではなくて自分の幸福や利益であるように思われます。これでは、本当の意味では問いに答えたことにならないかもしれません。しかし、一方で「道徳はそれ自体私たちが気にかけるべきであるようなものなのだから、気にかけるべきだ」というのも、問いの答えになっていないような気がします。これは結局「つべこべ言わずに道徳的であればよろしい!」と断言しているに過ぎないように思えるからです。「そもそもどうして道徳的でなければいけないのか」と理由を尋ねているのに、これではあんまりです。

では、どのように考えれば、この「どうして道徳的でなければならないのか(Why be moral?)」という問いに対する適切な答えを導くことができるのでしょうか。プリチャードは、「道徳的である理由がある」という前提そのものの見直しを迫る議論を展開し、Why be moral問題への一つの向き合い方を示しました。現代でも彼の議論の重要性は広く認められており、Why be moral問題を考えようとする人にとっては、このテキストは必読の文献と言えます。抽象度の高い問題にプリチャードがどのように向き合い、アーギュメントを提出していったのかをテキストの読解を通して追いかけていくことは、哲学的議論に取り組むマナーを身につける有益な方法でもあります。

毎授業時にレジュメ担当者を決めて英文テキストを読み進めていきます(邦訳もあるので参考にしてください)。授業ではテキストを訳すだけでなく、その内容についてのディスカッションを行います。